ソウルサウンドライアーは、シュタイナー教育に深いゆかりのあるドイツの職人アンドレアス・レーマン氏が考案した、無垢の一枚板を使って、直接からだにおいて音を奏でるライアー楽器。
水紋のように、からだの細胞のすみすみまで、その音の波動がしみ込んでいく、なんとも妙なる音の世界。
その音に魅せられて自ら製作する流れとなり、完成を目前に、出会いから制作までの物語を残しておこうかと思い立ちました。
物語の前に、双子のライアーとの対話を書き留めておこうっと。
「まずは、わたしの魂をみたす。
ふたつの星の種との、会話。
なにをしたい?どこへいきたい?どうしていきたい??
そして、わたしのたましいは、宇宙に、かみさまに地球に何をおかえしできる??
愛をこめて、愛を通して、奏でていくのだ。
ほんらいのわたしの光を、輝かせていくのだ。
そして、こどもたちへ!
あたらしい時代におりたつ、魂たちの道標、灯台となるように。
解き放っていくのだ。いまこの音色と共に。」
物語①楽器と私わたし
たぶんきっと、近い前世がフィンランド人かシュタイナーに関わる人だったと思う。
はじめてのその時は、たしか中学生か高校生。同世代の周りの子とは全くなじめず、生きづらさを感じていた。
カンテレの奏でる音を聞いたとき、
ライアーの奏でる音に触れたとき、
何とも言えない懐かしさと、あたらしさと、ふしぎな感覚に満ちていた。
涙も無意識にあふれてくる。
たましいに、響く。その感覚。ああ、安心安全の世界があるんだ。
それ以来私は、弦楽器のまわりをウロウロしてはいたのだ。
シュタイナー団体のライアー体験にいったり、カンテレのコンサートに足繫く通ったり。
でもどうしても、弦を抑える感覚が、生理的に受け付けないというか、
実際に愛で奏でるほうには進めなかった。
それでも意を決して、マンドリン部に入ってみたのは大学生の時。
学校のマンドリンを借り、高校からの親友の家を訪ねそのお母さんに促され、覚えたてのトレモロと音階をたどたどしく弾いてみる。
親友のお母さんの「ん?それだけ??」の顔を見逃せなかった。
そのあと、予想はしていたけど、親友はあっという間にマンドリンを、まるでずっと前から奏でてきたように弾きこなす。
「ああ、やっぱり音楽の楽器の神様はわたしには微笑んでくれないのかもなぁ」
おとなしく聴く専門、聞いて楽しむほうに回った。
物語②につづく。